ICC 「Light inSight展」

ICCライト・[イン]サイト (Light InSight) 展を見に行く。近年のICCの展示で出色の出来と思う。

「拡張する光、変容する知覚」という展覧会副題の通り、各作品は光という現象を科学技術を用いて鑑賞者に新たな知覚の体験へと誘うというコンセプトに依拠しているが、それは科学とアートの関係を扱うメディアアートの文脈では公知の方法であって、一同に会するということは全く不思議ではない。
科学とアートの接近が顕著である理由としては、新しいイメージの体験という以前のアートの消費にまつわる快楽の享受が難しくなった昨今、インタラクティブ、体験型の作品により、強引に<物理的な時間>に<特定の知覚>に引き込むというプレゼンテーションが有効なアートの方法論であるからだと思う。
物理現象を使用した作品は、特に現象の再現性が高く、イメージの想像的な消費を必須としないという点でも、ポストモダンの美術の作成・消費のありかたに叶う。
ただ思うのは、メディアアートが成立した60年代頃と異なり、アートの本流として消費される今日は消費・提示の方法が微妙に変わっているということだ。
例えばエヴェリーナ・ドムニチ&ドミートリー・ゲルファンドの<カメラ・ルシーダ:三次元音響観察室>は、様々な周波数の音源を水が溜められた球体に流す際に微小な光が発生するという「光ルミネセンス現象」を展示室で再現するもので、ジェームズ・タレルを彷彿とさせながらも、6分という暗闇の中での待機時間とその後の4分の光と音源の干渉の体験は、作品の意図する<知覚>を享受するに申し分はない。その体験については、彼ら自身がインタビューにて語っているが、環境に感情移入すること、空間と時間がいまだ科学によっても神秘的であることをテーマにしているという。神秘、イメージというものが成立しないという現代のアートをめぐる了解事項が生み出したジャンルが、再び想像的なもの、神秘の「表現」をテーマにしつつあるということは、当ジャンルの一般化、「成熟」の状態としては割合理解できる。19世紀末の超常現象の流行が、自然主義ロマン主義の表裏一体の関係に基づくように、技術により現象をありのまま伝えようとするメディアもまた、エモーショナルな表現の内実を隠し持っており、それが作成者と享受者のパッションとして共有される状態は、最近の写真の興隆など他のジャンルでも無関係ではないのではないか。