池田亮司 +/− [ the infinite between 0 and 1]

6/21に終了する現代美術館の池田亮司展 +/− [ the infinite between 0 and 1]にやっと行ってきた。

2008年3月に恵比寿で観たdatamaticsの素材が壁一面を一直線に横断するdata.matrixに足が止まる。1枚の壁全面に投影されるdata.tronは、従来のコンサートではいわば音の背景に固定されていた映像が、いまや近づくことの出来る場所にあることで、より聴覚と視覚と同時に作品を消化することが観客に許されている。

圧倒的な情報社会の暗喩として使われる数字・データ情報はそれ自体では暗喩以外の意味を成さないかもしれない。しかし、社会に溢れる情報の重量の中で日々私達が行う具体的な操作は、明快に一つのコマンドで一つの事象を変えうるのであり、その時私達が錯覚する万能さという快楽が、彼の作品が扱う問題点の一つとなっている。それが例えば、1階:視覚と地階:聴覚のフロアのシンメトリカルで裏返された構成に現れるのであり、彼が見事に作品世界を裏返して提示するときに、限定されてはいるが私達が社会に対して行使可能な恣意性に強く衝かれ、魅了されると同時に深く疲労するのだ。

ICCで2000年に無響室をつかって展示された《matrix [for anechoic room]》でも、同様に真暗な無響室での音楽の体験の後、ホワイトアウトさながらの白い空間に投げ出された経験が在るが、今回の作品は展示空間内に置かれた池田自身の作品への自由な接近と逃亡が可能である点で、彼の解釈が単なる提示に終わらず深く観客にも投げ掛けられているようだ。

従来のコンサートでは、本人が登場しない舞台構成が特徴でもあったが、unitでのATAK night4では珍しく本人が観衆の前に現れプレイしたことが記憶に新しい。音楽家として楽曲の向こうに隠れていた彼の貌が、unitのスクリーンの中央で左右の面を分割するライン上で暗く暗転していたように、今社会に影響力をより与えつつある彼の貌は、芸術が今も行使可能な恣意性の光のなかで、黒く暗転しているのだ。